【台湾の文化】清明節とは

大家好!高雄在住日本人のイッセイです。

台湾はいま清明節(qīngmíng jié)という祝日で、高雄もほとんどの人が帰省していていつもより交通量が少なく感じます。

今日はそんな清明節についてご紹介したいと思います。

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清明節とは?

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清明節は農暦(旧暦)の二十四節気の第五。(一年を二十四
等分したもの)毎年4月5日前後になり、2011年から祝日となった兒童節(こどもの日)も重なり今年は4月2日から4連休という人も少なくないのではないでしょうか。


清明節は家族揃って先祖の墓参り(掃除)や花見やピクニックなどにいき、潤餅捲(rùn bǐng juǎn)というものを家族で食
べる風習もあります。

潤餅捲とはクレープのような生地に、肉や野菜などを入れて包んだもので、具材は地域や家庭などで違いがあるみたいですね。

紙錢(zhǐqián)紙幣を模した物を燃やす風習もあるのですが、これについてはしょっちゅう目にする光景なので、いつか触れてみたいとおもいます。

清明節の起源は?

中国の春秋時代に存在した文公(晋の君主)と介子推という人がいました。

文公は身内に命を狙われ、長い間亡命生活(19年)を強いられて、介子推も家臣として共に亡命していました。

過酷な亡命生活で、介子推は文公に自分の脚の肉を削ぎ落とし煮て食べさせたといわれるほどの忠臣でした。
 

やがて文公が晋に戻り即位した際に、家臣たちを褒賞しました。

しかしそこに介子推の姿はなく、文公も介子推の存在を忘れていました。
 
やがて家臣の一人から介子推の事を存在を告げられ、思い出し探します。
その頃介子推は見返りなど期待せず、山に籠り母親と暮らしていました。
 
それを知った文公はもう一度戻ってきてくれるよう使いを出します

しかし介子推が戻ることはありませんでした。

そこで文公は家臣の愚見を聞き退路を確保し山に火をつけます。

火をつければ介子推が出てくると思ったからです。

しかし介子推は文公と対面することなく母親と焼死してしまいます。
 

介子推の死を悼み清明節の前日は火を使わずに冷たい料理を食べる風習がはじまったとされていて、これを寒食節という。

まとめ

文公の最も辛い時には常に側で仕え、君主になった時には静かに退く介子推はいまだに台湾の生活に深く根付いています。

自分の脚の肉を食べさせたとかはちょっとグロい感じがしますが、昔ならありえたのかな?とか思います。

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今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
謝謝讀到最後!!

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