大家好!
台湾高雄在住日本人のイッセイです。
我是住在台灣高雄的日本人一誠。
今日は台南の赤崁楼という観光スポットをご紹介します。
目次
赤崁楼(赤嵌樓)とは
1653年台湾南部を占領したオランダ人によって建てられ、当初は「普羅民遮城(Provintia・プロヴィンティア城)」と呼ばれていたこの城は、安平の「熱蘭遮城(Zeelandia・ゼーランディア城)」と相対してたたずんでいました。
熱蘭遮城はオランダ総督の中枢、そして普羅民遮城行政と商業の中心でした。
300年以上の歴史を有する赤崁楼は現在、反り上がった赤瓦の軒、そびえ立つ楼閣の姿を見せています。時代の返還にともない、ある時はオランダ時代の洋風の城、ある時は清朝の中国風楼閣、またある時は日本統治時代の陸軍病院とされ、今は歴史文化館として静かにこの世の移り変わりの激しさを物語っています。
1983年、内政部より第一級古跡として指定されました。
台南市政府文化局パンフレットから引用
さらに赤崁楼の歴史を大まかに見てみると
・1625年オランダ人が布十五束で原住民から赤崁楼地区の土地を買い取り、そこに商館、市街、倉庫、病院を設置して、「普羅民遮城Provintia)」街と名付けた。
・1862年台湾中南部の大地震により、すでに損害していた赤崁楼のオランダ建築は全て倒壊した。
・1886年台湾の沈受謙知事が文化教育振興のため赤崁楼西側に蓬壺書院を建設。残っていた砦の土台に文昌閣と五字詞を建立。同時に海神廟も修復した。
・1944年日本人のよるオランダ城俣遺跡の修築、大士殿の解体と海神廟、文昌閣、蓬壺書院ホールの修繕が行われた。
・1965年赤崁楼を修築し、海神廟と文昌閣の主な木造を鉄筋コンクリートに改造した。柱や梁には木造を模造したものが使用され、文昌閣の赤崁楼街側の出入口は民族路に移された。
台南市政府文化局パンフレットから引用
赤崁楼は歴史は古いものの、何度も修復を繰り返していて、オランダ人が当初作った建物はすでに倒壊してるそうです。
赤嵌樓へ行くには、台鉄台南駅から3番、5番のバスに乗り「赤崁樓バス停」で降りればすぐ目の前にあります。
実際に入ってみました
チケットは正面右側の販売所で購入できます。
鄭成功和議像
正面入口から右側の通路を歩いていくとすぐに鄭成功和議像があります。(オランダ人が投降している様子)
そういえば以前、同じ台南にある安平古堡に行った時にも鄭成功の像がありました。
海神廟
正面入口から入って突き当たりに見える建物が海神廟。1875年に海神の庇護に感謝するために建立された。
御贔屓牌
海神廟の外壁の下にある御贔屓牌。全部で9基ある贔屓牌は亀に背負われています。
入口からすぐの庭園のまわりはこういった感じです。
海神廟や文昌閣方面に向かう
入ってすぐの中庭をざっと見学したら、次は海神廟や文昌閣といった建物を目指します。
文昌閣
1886年台湾知事沈受謙によって教育振興のために建立されました。
日本統治時代の台南最後の市長、羽鳥又男氏の胸像がありました。
羽鳥 又男(はとり またお、1892年4月20日 - 1975年9月30日)は、群馬県勢多郡富士見村(現群馬県前橋市)出身。台湾総督府中央研究所職員を経て、台南市の市長を務めた。台南市長在任中、第二次世界大戦中という時勢の中、赤崁樓の修復作業を進めたことで知られる。
ウィキペディアより引用
文昌閣2階
魁星爺は科挙試験が実施されていた頃(隋の時代から1905年まで)に信奉された神様で、右手に筆、左手には墨床を握り、右足で大亀の頭を踏みつけ、左足で星を蹴る姿をしています。
かつては科挙試験(中国の官僚試験)の合格祈願に訪れる人が多かったようですが、それは現代も変わらず、高校や大学受験の合格祈願に多くの方が訪れているようです。
台南孔子廟にも「文昌閣」があり、そこでも魁星爺が祀られていますね。
同じ部屋に合格祈願に来た方の受験票のコピーが、絵馬らしきものと一緒に奉納されていました。
本気で願掛けしているからでしょうか。基本的に台湾の人たちは、あまり個人情報とかを気にしない人が多いような気がします。
この日は天気も良くて2階からの見晴らしも最高でした。
普羅民遮城(プロヴィンシア城)遺跡
文昌閣のすぐそばにある普羅民遮城(プロヴィンシア城)遺跡。
1944年に日本人が発掘したオランダ時代の遺跡で、かなり年代を感じました。
海神廟
前述しましたが、こちらは1875年に海神の庇護に感謝するために建立されました。
1階には鄭成功の肖像画と胸像が真ん中にドカンと飾られています。
やはり赤崁楼だけでなく、安平にとって鄭成功は大きな存在なんだなと感じました。
2階には昔の船の模型や資料などがありました。
また、2階から見える中庭や台南の景色はなかなかの絶景なのでお見逃しなく!
普羅民遮城(プロヴィンシア城)正門と足の折れた石馬(小碑林)
こちらも普羅民遮城(プロヴィンシア城)遺跡と同じで、1944年日本人が発見しました。
足の折れた石馬は清朝の武将だった鄭其仁の墓前にあった石の彫刻。
海神廟と文昌閣の基台の城壁には20個の石碑があり、南門碑林に次ぐ規模なので小碑林と呼ばれているそう。
蓬壺書院
正面から入って一番奥の左側にある蓬壺書院。
こちらも文昌閣と同じく、1886年に台湾知事沈受謙によって教育振興のために建てられました。
住民の土地を購入して、呂祖廟にあった引心書院を赤崁の北端に移転して改修し蓬壺書院と改名したそうです。
瓶形の門
海神廟後方には平穏無事という意味の壺の形の門、門の上には「玉兎東昇(長寿と子孫繁栄)」を意味した縁起物のうさぎとバナナの葉が描かれています。
まとめ
いかがでしたか?
赤崁楼は台南では定番の観光スポットですが、台南はこういった歴史的な建築物がたくさんあったり、美味しい食べ物があったりと本当に魅力的なところです。
高雄からも近いので、これからもちょくちょくきたいと思います。
赤崁楼 | |
住所 | 台南市中西區民族路二段212號 |
電話 | 06-220-5647 |
営業時間 | 08:30~21:30 |
入場料 | 大人50元 子供25元 |
アクセス | 台鉄台南駅からタクシーで約5分。バスを利用する場合、台鉄台南駅から3、5番のバスに乗り「赤崁楼バス停」下車。 |
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
謝謝讀到最後!!